児玉源太郎は、江戸末期に長州藩の支藩である徳山藩(現在の周南市)で生まれます。維新後、軍人として世に出た児玉源太郎は、その資質・才能を高く認められ、後に国家の要職を歴任し、当時の日本政界の中心人物の一人となります。
児玉源太郎の銅像
時に日露間の対立が深まる中、児玉は日露戦争で総参謀長として現地で指揮を執り、その卓越した戦略眼をもって各地で戦功を立てます。そんな児玉の働きもあって大国ロシアを相手に辛くも勝利した日本ですが、終戦後、精魂を使い切った児玉は燃え尽きるようにこの世を去ります。
児玉源太郎は頭脳明晰で戦略眼に長けた非常に優れた人ですが、その性格は情に脆く、友誼に厚かったそうです。また、地位や名誉に固執せず、ユーモアに富んだ児玉は多くの人々から慕われました。
児玉源太郎が生まれ育ったここ周南には、源太郎誕生の産湯之井戸が残されています。児玉が幼少期より心身鍛錬の為に行っていた井戸水被りの場所です。また、後進の啓発・育成を目的に児玉が私費を投じて開設し、惜しくも世界大戦で焼失した私立図書館「児玉文庫」の記念碑や、児玉大将を祀った児玉神社があります。
児玉源太郎 産湯之井戸
産湯之井戸と併設する児玉文庫跡地の記念碑
旧邸址に建立の児玉神社神殿